1999年 ルポルタージュ・・・釧路の盛り場で米兵と語った・・・その1
                    
                              監視団の一員として 下川麻衣

 栄町公園が近づくにつれ笑い声が道に響いていた。海兵隊員がハリウッド・カフェで騒いでいる声だ。隊員以外の客は彼ら目当ての女の子数人のみ。釧路では異様な光景だ。

おれ達 歓迎されていない…

 監視行動を始めてすぐ20歳の黒人と23歳の白人に話し掛けた。白人のAは初めは少々警戒しているようだが、私達が彼らをレストランに案内してあげてからは心を開いてくれた。釧路についていろいろ聞いてきたり、個人的な話で盛り上がった。入隊して数ヶ月の20歳の青年は割と沖縄が好きなようだったが、2年目のAは沖縄に嫌気がさしているようだった。入隊してから一度も祖国の土を踏んでいない彼は任期を終える2001年が待ち遠しいと言う。沖縄ではフィリピンの人がよく言い寄ってくるそうで、本当に嫌だそうだ。そして、私達の手渡したチラシをみて、「俺達、歓迎されていないんだな。ただ命令にしたがってここに来ただけなのに。」と2人。ニューヨークの20歳の彼は、私が出張で2度NYに行った事を話したら喜んでいた。普通の20歳のようなのに…。ノース・カロライナの彼とも私の友人が家を持っているというとそこはいいところだ、とかコメントして、私に一度来てみるといいと言った。この二人は任期が終ったら間違いなく除隊すると確信した。

チラシ もう もらってるよ

 その後チラシをすでに持っていた隊員に話し掛けると、嫌がりもせず、「これでしょう?もうもらっているよ」と快い返事が返ってきた。私達が運動しているのをどう考えているのか、と思った。単に慣れっこになっているのか、同感できているのか(海兵隊員にはよくあること)。怒りを抑えるとか、馬鹿にしているようではなかったので、よけい想像してしまった。

KFCで 下士官たちと話した

 夜も深まり、行き会う海兵隊員は皆酔っているようだったので、とりあえず隊員であふれていたKFC(ケンタッキーフライドチキン〉に入った。すると、黒人2人と白人1人が話し掛けてきた。黒人のBはメリーランド出身で、私が隣のワシントンD・C・に4ヶ月住んでいたけれどあまり好きではなかったと言うと、残念そうだった。38才の黒人のCは隊員歴20年。マイアミ出身だと言うので、親友を含めて数人友人がそこに住んでいると言うと、いい所だよといっていた。ケンタッキー出身のDは32才白人。岩国からソマリアにも行った彼は3人の中では位が一番高い。初めはわからなかったが、のちに下士官達だと知った。チラシに同封していた鶴の折り紙で盛り上がった後、徐々に個人的な話をし、ジョークも連発する彼ら。普通のアメリカ人のようにも思えるほどだった。しかし、断っても断っても執拗に言い寄ってくる1人はさすが海兵隊員だ、と思った。私達3人の旅費を持つから沖縄に来いという辺り、3人とも私達が気に入ったよう。

こんなにぺらぺらしゃべっていいの

 須藤さん(日本共産党道議会議員候補※中村注)のことを1日中防衛施設庁職員と勘違いしていたらしく、KFCで話し始めて気付き、とても驚いていた。「ずっと俺達の周りにいたからてっきりこっち側の人かと思ったよ」と。須藤さんが来てからは内部の話が中心となった。私は「良かった!これが聞きたかったんだ!」と思って、通訳し続けた。今回の演習は今年行った全ての演習の中で一番良かったこと、悪天候が演習にとって最適だったこと、自衛隊と一部一緒に訓練したこと、隊員の一部はテントで眠るが、それ以外は野外で寝ること(Communications CommanderのDはジープの下で寝ていた)、など訓練について隠さずどんどん話した。こんなに内部の事をぺらぺらと喋っていいのだろうかと思うほどだった。

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